天候不良が災いしてHUS-1の完成が伸びました関係で、今回は雑談オンリーでの更新です。興味ない方は他へサーフしちゃってください。


 先日、近所のTOHOシネマズにて話題の新作ガンダム( 機動戦士 Gundam ジークアクス "GQuuuuuuX"  )を観てきましたが、一言で表現するところ『ダッサ…』という、いやまぁーガッカリでした(涙)。こんな駄作がウケるんだとすれば日本のSF文化シーンは低レベルも甚だしい憂うべき状況…なんて零してたら「バカ云うな、ガンダムはSFなんかじゃねぇよ」と知人に笑われた…、まぁ、一理あります(笑)。
 
何せ『あの庵野秀明の腰巾着』鶴巻監督ですしハナから期待はしておりませんでしたが、にしても酷過ぎる。相も変わらず 宣伝PVで「電柱が生えてる」のを目撃しての観賞ですから、『観ない』と言う選択肢も在っただけに ホント 文字通り料金はドブに捨てたも同じでした。家帰ってデトックス代わりにと録り溜めていた「薬屋のひとりごと(二期)」を三話程見返し、ようやく安静を取り戻しました(笑)。

鶴巻ガンダムの限界2
まぁ、高校生っちゅー設定らしいからモザイクかけました(笑)。

 まぁNieRのヨコオタロウなんかもそうですけど、コ奴ら「文化系」連中にSF作らせると陳腐化する…というのは私の中のセオリーなんですが、周りがYES MENしかいないからか誰も是正しようと意見具申も出来ない現場の空気があるのかもしれません。硬直化した崩壊寸前の組織にありがちの体ですね。

 頑なに『科学考証ロールの人員をプロジェクトに含めない』という不可解な制作陣編成は、連中に「科学や工学への造詣がない」という自覚があり、加えて(無知・無学故に)プライドを傷つけられるのが怖い…のだろうと思えば腑に落ちます。

 以前、トップをねらえ での『相対性理論における無理解』に触れたが、要するに庵野もヨコオも鶴巻も、そもそも『科学や工学へのリスペクトが無い』のです。例えば先述した「電柱」とか、その役割や近現代になってから我々の身の周りに現れたものにはそれぞれ「背景」があり、それらの事情や要因を考察すれば、『1から設計・施工できる筈のスペース・コロニー』には適用されないものが殆どである…というのが連中には理解できないのだ(苦笑)。 そういうのはエピソードの主旨から離れてでさえ、工学目線からは全く持ってナンセンスに映ります。(お陰で話の本筋さえもがバカバカしく映る)このスペース・コロニー設計者連中は「アホかと、バカかと…」…。
鶴巻ガンダムの限界

 おまけにコロニー内の移動手段が現代の東京メトロ風(遙か未来においても我々は通勤通学移動という概念から解放されないらしい…)、個人連絡用デバイスはPAD形態のスマフォ風(宇宙世紀にチャットとか草生えるワ)、居住区は雑然とした昭和風、電柱のみならず各種配管や配線が家屋の外側をくねっているし、おかしなことに空調の室外機まで置かれてる…(おいおい、コロニー全体で温度管理せんのかい?)そういった目新しさの微塵もないアナクロ描写には、なんだか「夢も希望もありゃしねぇ…」とうんざりさせられる。
断言いたしますと、制作する側が エンジニアや科学者 といった存在をハナからバカにしてるからそういうクソ設定を放置できているのだ。新規にヤレてることと言ったら80年代デザインのザクやらドムやらの部分改変だけなんだから何とも稚拙極まりない。「庵野=カラー社 制作」でリビルドする理由って一体何?なんであります。

 序でに触れて何なんだが、好(?)例として上げれば同じく文系バカ:ヨコオタロウのゲームを中心とした一連の作がありまして、未来の地球において『地軸が90度も捻じれ軸線が太陽に向く…』なんて事態になったらば、実際の「自転による昼夜の交代があり、それで上手く蓄熱・放熱の循環ができている環境」だから我々は生きていられる…(それでも、気象状況で荒れることは茶飯事だ)、のに、片側が昼オンリーでも平静と天候が安定してる…なんてのはヨコオがとんでもない「天体物理学、物理気象学 and 自然科学」についての無知を晒しているから…ないしは科学に対するリスペクトがない点を理由とする…からでありましょう。

 私がかつて小学生時代に日曜の朝スター・トレックを観てて何故感動を憶えたのか? それはU.S.S.エンタープライズはヤマトみたいな巨大なスラスター開口部を持たない…とか、行先を口頭で伝えたら縦横無尽に館内を移動するターボーリフトがあり、まだBDもDVDもSSDでさえ影も形もなかった時代に、薄平べったいメモリーカード調の媒体をコンソールに差し入れするシーンやらを眼にし、そういった新鮮で革新的な「未来のテクノロジー」に触れたからに他ならず、当時の円谷特撮モノにはない斬新さを憶えたからに他なりません。なんかさ、ウルトラマンの科特隊なんか紙のパンチテープ目視で読んでいたよな(爆)。

 一方で我が国で作られるSF(紛いの)エンタメ状況といえば、この21世紀に及んでも『ヤマトはケツから火を吹く』という滑稽さから脱却出来ずにいます(苦笑)。もう「エエ加減にせぇよ!」と…。

 一万歩譲って「クソ設定は見なかったことにして」話はどうか?作画はどうか?といえば、相変わらず『枢軸美化』で、なんとジオン公国が1年戦争に勝利する…という背景設定に改変されているというバカ臭さ…、以前も論じたが、ネクラのアニヲタは総じてナチ好きのテロリスト予備軍の体であり、即ちそれらの権化たる『アニメ制作者』もその手合いが多いことの証左になっていますね。この辺ヤマト2199:出渕さんの「ガミラス礼賛」、水島監督のガルパン「ナチタンク礼賛」にも通じる点がありましょう。
 エンタメ事業従事者たる存在が「焚書」や「虐殺」をやったナチにシンパシーを覚えるとは甚だ理解に窮する。ナチスドイツなど上はMe262から下は黒長靴まで唾棄すべき存在なのだ。本質的に頭が悪いからなのか? ナチスやヒトラーなんかが勝利する世界がどんだけ抑圧されて住み辛い嫌な世の中になるか…なんて簡単な事が想像&理解できないらしい。

 もう、ココまで来れば作画なんてのがどんだけ宜しかろうと救い難きに帰すわけで、にも関わらず、それさえですら「カートゥーン・ネットワークかよ?」というキャラデザで私には響かず、これまた食傷状態となりとうとう後半睡魔に襲われる始末…。

 因みに件の鶴巻監督自身は本作を「パラレルではない架空戦記モノである」等と申されており(僕にはそれらの本質的な違いが良く解らんのだが?)、鶴巻氏自身が「架空戦記好き」と吐露しておられる状況から「あとは推して知るべし」でありましょう。私見ですが、私は真摯に現実の問題解決に向き合う精神性を有してたらば『あの時こうだったら…』等という未練たらしい感情を動機とする物語創作などやらない…というのが持論であり、故にそのストーリー性においても本作は何ら私には刺さらなかったというわけです。
 
 まぁ、それは横においておくとしても、要は「惑星内乱戦争巨編」といったステージから、突如「ハイティーンのモビルスーツ・ゲーム合戦」と話がグッと矮小化…、その動機が「賞金目当て」と、これまたスケールダウンとなり「はぁ?」と観ていて口アングリだったんですワ。 ただロボット使ってガシガシ戦う動画が作りたかっただけでしょ?…なら、何もガンダム+ニュータイプじゃなくたって良いじゃん?、なんで今更 ガンダム・ビルド・ファイターズの焼直しみたいな事を始めるの? 何考えてんのよ? となったのは自然な反応だと思う所です。
 
 私はエンタメの本質とは「観ている人に喜び、楽しみ、和らぎそして希望を感動として与えるモノ」(そこへ更に社会批判や問題定義などを巧みに含められたならそれはもう名作の域に…)だと思っています。
 だがしかし、そこに

「観てる連中はガキレベルの低能ばかりだから、クオリティなんか知ったこっちゃねぇし、俺等が作りたいように作るもんね…」
といった、粗忽さや慢心や低俗性が窺えたら、それはもう「公開オ◯ニー」を見せつけられてるようなもんで話になりません。
副題に "Begininng" とありましたから、以降TVあるいはNet配信で継続すると思われますが、私はもう拝見することはないでしょう。
 以上、ガンダム好きな人には水を指すような内容で申し訳ないですが、まぁ例によって岡田斗司夫あたりが絶賛するんだろうから、こういう意見も在って良いのではなかろうか? と、一筆シタタメた次第です。反論異論はご自由に…。

 然し乍ら かつての石ノ森、手塚、松本時代がそうであった通り、庵野、ヨコオ、出渕 辺りを称えてるうちは 日本製SFがアカデミー賞の舞台に参加できる時代は来ないですよ。その辺どう思われるか?でしょうね。
 これらを単なる悪口と捉えるか?はたまた業界全体への期待への裏返したる叱咤激励と捉えるかでその精神性が問われるわけですが、果たして貴殿はどのように思われるのだろうか? 

まぁ、こんな感じです。
長文駄文、失礼いたしました。次回こそプラモネタで更新したいですね(苦笑)。

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