最近読んだNewsweekの奥付で翻訳家のStephan Walshなる英国人が書いていたのですが、日本人の学生には万年筆を贈ろう!みたいな事を言っておられた。
なんでも向こうの学生は鉛筆は小学生初等位で卒業し、以降は万年筆(ペン)を使うということらしい。で、理由はと問えば、消しゴムで消してしまうと、数式にしろ、記述式にしろ『どこで何を間違えたか?』のログが残らないからだそうだ。 よって、彼らのノートはことの他汚いらしい…訂正の横棒やx印が書き込まれてるからだろうと想像されるが、僕はこの記事を読んで成程と感心した次第…。
彼は日本人学生のノートを見て、事の他綺麗なことに驚いたそうだが、確かにそれは『間違いなく正解にたどりいた結果だけが記録されている』というだけのもので、そこに至ったプロセスは一切謎のままであり奇妙に感じるといった具合だそうだ。
彼等からすれば正解だけが学習や勉強の成果物ではないという事なんでしょう。
間違いを『失敗』とネガティブに捉える文化と、『資料(データ)』と捉える文化の違いなんだろうなと、改めて欧米人の論理性に感銘を受けた次第である。僕は常々日本の教育文化の欠点は『正解に誘導する教育』に原因アリと思っているからで、人生に必要なのは『正解をどうやったら見つけることができるか?』という創造性だと思うわけであります。丸暗記が得意なだけで人生が成功するとは必ずしも言えない…そう思うのですがいかがでしょうか?。
ここでふと、及川古志郎(開戦時の海軍大臣)に対する、米内(元総理&海軍大臣)さんの人物評を思い出す…。『漢籍(かんせき)はもとより結論のみの羅列であって、それらに至る過程の省略された非論理的なものであり、そんなものを得意とする及川の思想も推して知るべきで、論理的に思考する知性がないから、フラフラと理念の伴わぬ行動をするやつだった』って感じでしたが、どことなく『出来る人間と出来ない人間の差』を生む原因が汲み取れます。正解の暗記だけじゃーやっぱいかんぜよと…、米内さんやっぱカッコイイわ(笑)。
『間違いは間違いで良いじゃないか…』と周りが許し、間違った本人にしても『じゃ、原因を分析して次に生かそう』と前向きになれれば、勉強だって楽しくなるし、『落ちこぼれ』の子供など、もっと減らせると思いません?
学童学生時代を振り返るに、授業が楽しかった先生の教え方って絶対に『暗記させるだけ』のタイプではありませんでした。全てが良い先生ではなかったですが、我々の世代は個性的な先生が多く、今の子より恵まれていたのかもしれません。
因みに御存知の方も多いだろうが、キリスト教に根差すのもこの『間違ったっていいじゃないか、前向きにやったことならば…』というのがあります(この辺り、ローマ時代以降中世期に及び爆発的に広まった宗教であることの理由が潜んでいるような気がします)。聖書にもそのような逸話(マタイの福音書にあるタラントのお話)がありますので『極度に失敗を恐れて、ともすれば間違いを汚点と捉え、嘘や虚飾で糊塗して隠ぺいしがち』な方は一読されると宜しいかと思います。若い人は特にどんどん間違えて、『間違いのしくみ』をロジックやデーターとして収集すれば良いでしょう。『歳取ったら間違いにくくなるからね~』とは鹿目詢子のセリフにもあったけど、まさにその通りです。
とは言え、コピペの論文で栄誉を勝ち取ろうとか…そう言うイカサマはここで言う「間違い」とは意を異としますので曲解無きように願いますが(爆)。
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さて飛龍。師匠の予言通り3月中に完成いたしました。一見して前回とどこが違うの?とか言われそうですが(笑)。
←前回思わせぶりに「作業が残ってます」と言ってたブリッヂは臨戦状態モードを現わさんと、周囲にハンモックを並べてあります。飛龍のMI作戦時の現存する写真が無いので想像の産物ですが、それらしくエポキシパテを盛り、ヘラで加工して自作しました。芋虫が並んでるとか云わないで(笑)。屋上のループアンテナはパーツがありましたが、先端が球になっていたので真鍮線で造り変えました。
←甲板の反りはこのように強引にエポキシで接着。にも拘らず僅か0.5mm程右舷上部に跳ねた甲板先端部は改善できませんでした(涙)。初期ロットのキットなんて見たこともないんで比較できませんが仕様だと諦めます。
キットの搭載機ですが、九九艦爆はスパッツ付きの見事な主脚が別パーツなのに、零戦と九七は棒が生えているだけです。また、全機尾輪が省略されていますので、この際見栄えを考えて自作いたしました(説明図を見る)。前回と比較して多少雰囲気は向上したかと思いますがどうですかね?九七のタイヤはもう一声大きくても良かったかもしれません。タイヤとハブの塗装をそれっぽくするとらしくなりますが、この辺はルーペを使うのでキツイ作業でした(苦)。
そう言えば、飛龍はMI作戦前からニ航戦の旗艦になってっからレターはBIで青線一本だぜ…って小林大尉機を本ブログで扱ったのが2011年初夏でした、その事実に頓着しないモデラーの多くが蒼龍機塗装にしてMI時の飛龍に並べてたらしく、結構騒動になったらしい~て話を、先日数十年ぶりにあった知人艦船モデラーから聞きました(苦笑)。
『おいおい、飛龍を好んで作るような帝国海軍ファンならみんな知っているんじゃないのかよ~』って驚いたわけだが、まぁこの辺り歴群の学研さんとか、模型誌のライター(吉村仁氏、衣島先生を除く)等が不勉強なのもあるわな(ギャラが安いから仕方がないか?)…。模型メーカーもそう…。まぁ漫画家や映画会社に責任を問うのはあんまりだが、逆もしかりで映像等で真珠湾の時に山口少将が飛龍に乗ってるとかもちょっとゲンナリ…、我々からしたら噴飯ものだが60年代に撮られた映画や漫画とかがソースなら仕方があるまい…。それを信じてしまう方の問題だろうからね…。
これは飴色論争とか『写真が無ぇ~んで迷彩パターンが判からない』といった性質のものじゃないので、『諸説ありますからMI時に青線2本もあり…九七も茶斑でOK・・・』じゃ~ありませんよ、Y澤ちゃんアンタの事だヨ!。そんな言訳は明らかな嘘だからね!浅学を恥じたり負い目を感じる必要はないけれど、そこは素直に間違えましたで良いじゃん?
ちゃんとした日本海軍の艦隊編成管理上の話であって、記録も残ってる列記とした事実なんだわ残念ながら…。
なかんづく自分のミスを認めたくないという動機からか、事実を仮説の一つに落としめようとするなどと、そんな姿勢のモデラーが居るならば(Y澤ちゃん以外に-笑-)、そりゃ人格を疑われかねない所業といえましょう。小保方さんを揶揄出来ないヨそれじゃぁ…。
この話は長くなるんで機会を見て、またいつか書きましょう。
話を戻します。
当初素組でやります…。とか言ってましたが、流石に6~70年代のキットだけに省略も多く、昨今では専用エッチングパーツなどの普及でこのままでは1/700と見比べても見劣りしちゃいます…。で、飛龍、蒼龍は日本で初めて造船時に本格的な落下防止索を実装された航空母艦と云われていますので、これは避けて通れず自作しています。
AFVモノのメッシュパーツの余りを使いましたが、スケールを考えるともう一段細かいものが理想でした。家人提供の古タイツ(パンティーホース)なんか丁度良かったのですが、収縮性に富み過ぎて、形状固定が面倒くさかったのでやめました。中央部が対搭載機用、先端が対人用となってます。甲板後部は何故か省略(爆)。対航空機用は外側に寝かせて作る人も居られるようですが、僕は立ててたと思いますのでこのようになっています。一方で起倒式アンテナは保管の都合で直立させてますが、本来なら寝かせたかったところです。
←この絵だと、何故か思い出す映画MIDWAYの被弾シーン…。でもあれは古い東宝映画のフィルムをユニバーサルが拝借したものです(ロードショウ観に行った当時はオリジナルだと思ってた)。違いは主翼前縁に橙黄色の『敵味方識別帯』がない点(爆)。もち、この時期なら無いのが正解。プロペラが何気に追加されてますが、これも潰した伸ばしランナーを使っての自作です。死にそうになりますよ(笑)。ちゃんと表側銀、裏側黒になってます。
アンテナやマストの空中線や旗紐も伸ばしランナーです。また、張線に辺りキットには無いパーツの自作もして補完しています。山口少将座乗のための少将旗はキットに無く、軍艦旗は大きさと材質(セルロイドのようなテープでデカールではない)が気に入らなかったので自分で紙に描いたものを使いました。Revellのアリゾナから拝借した信号旗は適当です。
キットのプロペラはバリが激しくて整形に苦慮しました(因みにアメリカとフランス海軍ではスクリューとは呼びません、本ブログはUSN式呼称に統一します-笑-)。彩色は指示もなく不明なので金で塗っています。
あまり見ないアングル…宇宙空母ヒリュウですか?喫水線、モールドに従っただけなんですが何故か真っ直ぐじゃありませんね(笑)折角付けた手すりですが、ドライブラシとかかけてないんで写真じゃ判らないですね。
しつこいようですが、MI作戦時のみならず、実際は戦・爆・攻の三機種がこのように並ぶ事は(特に臨戦時)ありません。僕が小林機、友永機の両方を載せたかったという理由からの模型としてのフィクションとお察しください。
航空艦隊/航空戦隊は空母複数構成でしたので、それぞれで担当を統一した編隊を組みます。例えば零戦+艦爆を並べたニ艦がA組、零戦+艦攻を並べた二艦がB組として編成され、飛龍の場合ミッドウェー島攻撃への第一段目がB(艦攻)組でした(スキッパーの友永大尉が飛龍の艦攻操縦士だったからです)。
一方で一航戦の赤城、加賀がこの場合A組構成となっていました。当然第二段はこれが艦攻/艦爆編成が逆転となります。まぁ滅多にないでしょうが4艦並べて洋上ジオラマを組む場合ご注意ください。
これはハワイ海戦(真珠湾)も同様ですが、その場合第一弾はMIと逆になります(スキッパーが赤城の艦攻観測士の淵田中佐だったからです)。5航戦を含めて6隻ありましたからMIの2+2→3+3構成になるだけの違いです。
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そんなこんなで比較的駆け足で進めてまいりましたおかげで、恐らく個人的には最短期間での艦船モデル『空母飛龍』完成と相成りました。正味二ヶ月だから頑張った方だ(笑)。それもこれも、発売から40余年たった今でも十二分に出来の良い、このニチモのキットのおかげです。これでようやっと日本海軍モノに関する個人的課題が完遂となった訳であります。ニチモさん本当にありがとうございました。また、長い間お疲れ様でした。模型界はいつまでも御社の存在、御活躍を忘れないことでしょう。