Go Navy! (乙)

プラモや造形やりたい放題! (>o<)

映画

オッペンハイマー観ました。

おいおい! 『完成前夜祭』とか云ってたやんけ! と石礫が飛んで来そうなのを覚悟で今日も「箸休め」です。ちゃんと理由があるんです(涙)。
くらーーーーーーっしゅ!
←ラダーのCAG仕様の塗り分けを無難に過ごし、下面色も吹き終わって「さぁーあとはマスクしてグレーだけやな!」と意気込んでた頃、フジミA-7の胴体がツルリと手許を離れ…
『ヤバい!落下破損してまう!』とお腹に抱えるようにして落下を阻止したんですが、その勢いに負けて垂直尾翼が根本からボキ折れました(笑)。
『えーウソやろ!』
思わず声に出ましたよ。愛娘もビックリ!
抱え込む…ったて、そこはそれプラモでっさかい力加減は高が知れてます。通常折れるような出力は加えてないという自覚があります。そう、プラが相当劣化してるようなのです。
72A-7E02d
←予感はこの部分の破損でありました。何かの拍子でパキッとやったらしく無駄に補修作業が増えたところです。そういやー 胴体/主翼と一部のランナーだけ「変色」が激しく、ゲート処理がやたら難しかったものがありました。酸素、湿気、光(箱に入ってたんだから紫外線は関係ないと思われ)…等々プラ劣化の要因は様々なれど、少々不可解な事件ではございます。
何せ購入から20年以上経過してる部品とは云え、こういう経験は初めてです。この頃のフジミ製には気をつける必要がありそうですね。保管状態も環境も変わらない「同じキットの部品」が全て劣化状態ではなく、一部のみ…が何か「分子結合が劣化してる」感じです。まぁ、幸い塗装済みの部位は無傷でしたので、補修は出来ました。完成寸前じゃなかった…というのを救いにして気持を切り替えましょう(苦笑)。こんなわけで一週間完成が遠のいたわけです。今後も取り扱いに注意…落下厳禁ですな。

CinemaOppenheimer01TN
久々のノーラン映画
 で、本題。先週水曜、会社後半休して観てきました。話題作『オッペンハイマー』です。IMAX上映のため池袋まで出かけました。
まぁ、御存知の通りピューリッツァー賞の著作物を映画化したんで駄作になりようもないのですが、三時間近い上映にも関わらずあっと言う間でした。そういうのは私の経験上名作が多い。
 今更内容を語った所で著作物で語られてる以上にも以下にもならず、そのへんは『まぁ観てください』としておきます。

CinemaOppenheimer01a←こういう演出をすると、琴線に触れる人も居られるでしょうか?
理系の末席を穢しまくってる存在の私でさえ、フォン・ノイマン博士、アルベルト・アインシュタイン博士に並びリスペクト対象のTop3に上げる人物:このオッペンハイマー博士は云わずと知れた『原爆の父』であります。
 博士について、被爆国の国民感情からは称賛しかねる…なんて『聞いたふうなクチ』を利く輩も多い。ですが私は敢えて申し上げますが『本当にそう思うのか?』と…。
以前、原爆使用に関し『虐殺だー』とか云うトンチキに向けて一石投じたアーティクルがありましたが、批判する側の多くが『じゃーアンタ、あそこで落とさなきゃ、アンタが今送ってる人生は無かったことになってたかもよ?』という問いかけに、ロジカルな回答を示せないだろうよと…。トルーマンの決断の尻馬に乗って(アンタ等の爺さん婆さんが生きながらえたから)この世に命を繋げてる連中が、一体何を言ってるんだよ!と…。
 そこまでの考察がないから『お気楽日本人』とバカにされるんだし、ガンダムの富野みたいな事を云うバカが後を絶たないのです。
 その富野に代表されるような『原爆開発者に対するバカ発言』の多くは、『マンハッタン計画』を『点』でしか見ておらず、当時ナチが先に実装するかも知れない…なんて巨大な懸案事項を無視してるワケ…。
全く馬鹿げてます。

メリークリスマス!の人←そのようにホワイトハウスに持ちかけた「火付け人」はこの人でした。
どっかで見た顔だな…と思ったら、あの大島渚の奇作『戦場のメリクリ』のローレンス中佐やってたトム・コンティ氏であります(笑)。懐かしい…。いやぁーそっくりなんだものアルベルト…。

 あのキ◯ガイ国家が核武装するかも…なんてのを想像すれば、オッペンハイマーならずとも連合国側の、特に核物理学に明るい連中の抱く危機感は計り知れないモノです。映画にもその緊張は有り有りと描かれていました。彼がしたことは『必然』だったのであります。
 事程左様に『点』でしかモノを見られない痴障共は『ナチに先に原爆開発され連合国が負け、気の狂ったチョビ髭とコソドロ市ヶ谷の支配する阿鼻叫喚な世の中になってた方が良かった』とでも申されるんだろうか? 本気で言ってるなら全くどうかしている。そう、(真意はどうあれ)オッペンハイマー博士を批判するということはそういう(思慮を欠いた)ことに等しいのです。

 こうした理路整然な合理的理由があってもなお、『原爆の父』自身は苦悩する…。自分のしたことは正しかったのか?と…、そういうネガティブな一面も過不足無く描かれていて、彼に対する無知を自認する人は注目して観て頂きたいと思うものです。
私は被爆国の国民ですが、最初のプルトニウム弾の実験が成功したシーンを見て、当時そこに居たであろう関係者にシンパシーを覚えた程です。素晴らしい成果であると…。
 また、ホワイトハウスに呼ばれ、トルーマン大統領(これがまた、G・オールドマンが演じてて、最初気付かなかった程だ-笑-)に『責められるのは使うと決めた私だ』と慰労された局面では目頭が熱くもなりました。

 そんな事を書くと『貴様は被爆者やその御遺族の心情がーー』とか云い出す偽善者が必ず現れるんだけど、えっとね、過去の発言と重複しますが~

「戦争被害者の中で原爆被爆者だけ何故特別扱いするの?しなきゃなんないの?」
(私も伯父をインパールで亡くしてますが?何か?)

「戦争というのは負ければ死ぬというリスクがあるの、死ぬの嫌ならやらなきゃ良いのよ。当時の日本人て戦争したがってた人が大半だったでしょ? 違うの? 米内閣下の『反戦内閣』を潰したのは一体誰?アメリカやイギリスじゃないでしょ?」

「で、真珠湾攻撃の次の日提灯行列して鬼畜米英って喜んでた国民は、空襲で死ぬ前には改心して反戦叫んでたの?違うでしょ?言い換えればある意味自分で選択した末路でしょ?」

と繰り返すだけです(笑)。

「因果応報」を論ずるとき、そこには「点」ではなく「線」として事象把握が必要なのです。この作品は改めてその辺りを考えさせるに(原作も含め)十分な名作でした。
 話すとキリがないので割愛しますが、主演のキリアン・マーフィーを始め数々の名優が脇を固めていて、その点も「魅せる」映画になっております。私は円盤も購入し吹き替えを楽しみにします。"パシフィック"のマレックとか、"チャーリー"のR・ダウニーJr(彼には是非とも大塚芳忠氏を!)とかね…もう泣きそう(笑)。

まぁ、自分等の手でムッソリーニを捕まえて逆さ吊りにしたイタリア人達を「ヘタリア」とか云ってバカにしてるようなトンマばっかりの日本人(本当に日本人が優秀ならサイパン堕ちたとき、東條英機に同じことやってる筈)がオッペンハイマー博士を云々とか、失笑するしかないんですけどね。流石に映画館前で赤旗持ったバカが「上映をやめろー」とかしなくなっただけマシになったんでしょうか?

ひょっとしたら原爆落とされずに「本土決戦」で一億玉砕したほうが地球のためになってたのかも…。
SNSでよく見かけるバカ連中を見るにつけ、そんな風に思わないこともない日常です(苦笑)。

何かどさくさ紛れに映画感想ならず『自国民評』みたいになっちゃいましたが、いつものことなので…、『自国民マンセー』とか北朝鮮みたいな気持ち悪い精神性は持ち合わせていませんので、あしからず。
そんなわけで、図らずも二週連続の箸休めになってしまいましたが、最後まで笑ってお付き合い下さった方には感謝多謝であります。
来週こそ(?) A-7、決着つけたいですがぁ~どうなりますやら(笑)。

”虚淵ゴジラ"の限界…

DSCN5020←友人の反対を聞き入れず観に行ってきた(笑)。
ゴジラも庵野さんのお陰で『ああ、ゴジラでこういうのやっちゃって良いんだ』って感じで、アンソロジー的なこの手の作品が増えていくのは、まさに時代なんだな…ということで僕は気にならないが、『東宝ゴジラ以外はゴジラにあらず!』な人には受け入れられそうにないんだろう。
 ネタバレになるので詳細には触れないが、成る程製作に関わってる会社が同じという関係で『シドニアの騎士』に巨大怪獣が現れ舞台を『環境厳しい惑星上』に変えただけの物語…と表現できないこともありません。絵の綺麗さや声優陣の頑張りは素晴らしい作品でしたが、真摯なSFフリークの私としては得るものが少ない凡作と申し上げる他ありませんでした。特に今回残念に思った点は、シナリオ上重要な科学考証が全くナンセンスであった点で、以下にその説明をしておきます。

 不躾ながら申せば、虚淵さんを始めとする、その他の製作者サイドに『物理オンチ』が大勢居るためか、一般相対性理論を前提とした、空想上の惑星間超光速移動に関する理解に誤りがあり、ワープ中の船内と地球の『時間差』がドヤ顔で語られてる辺り苦笑を禁じ得ませんでした。一言で『んな馬鹿な!』であります。
  この製作者の誤解は、アラトラム号(作中登場する人類繁種母船)は特定の恒星系を絶対座標とする『同一観測系』内での移動を行ってるという、言わば『ただ物凄く早い飛翔物体』内部で起こる時計の遅れ…という特殊(つまり"一般"ではない)相対性理論での説明を前提していることが源泉でしょうが、この所為でSFとしては全くナンセンスなモノになってしまいました。こんな基本的チョンボを見せられてしまうと、もはやゴジラ云々は関係なくなる(笑)。

 話の筋が、
この『時間差(年代差)』を大前提に構成されているので仕方がないが、この点で本作のワープはスタートレックやヤマトのワープと違うワープになっており、アインシュタイン博士やホーキング博士を全否定する科学設定になってしまっていて、可也恐れ多い作品になっている(爆)。おそらくアーサー・C・クラーク卿が観たらひっくり返るんじゃないかと思いました(笑)。

 超空間航行とかワープとかは一般相対性理論での『オノレが動いてるのか?外が動いてるのか判んねぇぜ…』という絶対座標が無い世界であることが前提で、ローレンツ収縮の公式なんかも使って『空想的実用化』が説明されているものです。つまりワープとは、 宇宙船側が超光速移動してるのか?(目的地の惑星がある)恒星系の方が超光速移動してるのか?が特定できない状況(スタートレックではコレを"亜空間"…なんて呼んでるようです)を(マイクロブラックホールとかとてつもない質量のエネルギーを使うとか何とかして-笑-)人工的に作り出し、時空を歪めて(縮めて)任意の場所に移動する『空想科学技術』なのであって、
宇宙船自体が超高速等速直線運動してるわけではないから質量もエネルギーも変化(増加)しません。従って時間の進行具合は通常空間でのそれと変りません。つまりは時間の経過は『(通常空間においては)目的地を含んでどの系も同じ』なのが常識なのであります。第一そうでないと広大な宇宙相手の合理的移動手段として全く意味がありません。

全くイメージできない人に良く使う説明だが、加速度が体感できないようなゆっくりした移動だと駅のホームで自分が乗ってる車両が動いてるのに、隣に停まった車両と駅が動いてるように見える(またその逆の)『錯覚』の経験がおありでしょう? それが錯覚だと言い切れない世界の話が一般相対性理論の扱う世界です。言い換えれば『絶対座標が特定できない』世界を説明する理論でもあり、御存知の通り宇宙空間というのはそういう場所なのです。

もとい。

 この前提(つかSF上の常識)が無視されて時間の経過が同等でなくなると、例えばヤマトだと古代や森雪は地球の時計で一年を遥かに過ぎて帰ってきてしまい、イスカンダル行きは全くの無駄に終わってしまうのです(爆)。この辺は(当然ながら)スタートレックやスターウォーズでも正しく理解されていて、散々ワープを繰り返しながら、タトゥイーンを脱出後に、既に遠の昔に完成してしまって銀河に猛威を奮った後のデススターを壊しに行っちゃうような不都合は発生していません…。

DSCN5023 虚淵さんが文化系の『物理オンチ』だから…と腐すつもりは全く無いのですが、SFとしては可也陳腐なものになってると言わざるを得ません。監修に2001夜物語星野之宣氏でも入れておくべきだったのではないかと思ってしまったくらいです。

…あぁだめか。違うお話になるし、第一に、星野先生受けるはずがない(笑)。

DSCN5022 このゴジラを作るために時間差が必要だったのなら『一般…』ではなく『特殊相対性理論』の世界にとどめ、ワープは適用すべきではなかったのですよ。最高でも10分の1光速(笑)とかね…。それなら絶対座標を太陽系に置いて話が作れました。但しそれだと加速度とかの問題でまた設定にツッコミどころ出てきちゃいますが…。
  この点において虚淵さんや瀬下監督等の『SF力(つかセンス?)』に虚弱な印象を抱いてしまった僕は2作目、3作目を観に行くかどうするかを迷っています…。それ以外に全く見所が無かったわけでもないので少々残念でした。

しっかし、超光速航行船って『大きな飛行機』じゃないんだけどなぁ…。『動く』という発想があると ( 言い換えれば"縛られていると…" )ワープは扱えない『空想技術』なんですよね。

ブレードランナー2049 & 1/100 タミヤのミニジェット・シリーズ


DecRhino48081 今年はデカールの入手が皆無といってよく、そもそもメインのF-14、A-6系のデカールは80年代来のコレクションで売るほど持ってるし、その他に広げてもロービジの地味な奴は作る予定も無いので久々の購入となったが、本拙ブログでは珍しくもライノの2枚を入手。

DecRhino48078つか、ライノも左程好きなわけではないが現役の海軍主力戦闘機とあっては仕方が無い。この2枚は購入難民化してたので、そのまま『やー買い逃しちゃったー』とスっ呆けを決め込んでいても良かったのだが、買ってくれ~とばかり眼の前に現れやがったので仕方が無い…。
 しかし、この内の何セットが陽の目を見るのか?当然、今のところ意欲も無いのでリサーチもしていない(爆)。キットもRevellしか買ってないしなぁ(笑)。

   ◇

BR2049a ハリソンもリド・スコも長い付き合いなので観に行きました。
 特に話すことは何もありません(苦笑)。それでお察しを…。全米で絶賛爆死中なのも頷ける出来上がりであります。
 リメイクやリブートはイロイロ難しいんですけど、良く観れば本作は『続編』ですからねぇ…。作りを見る限り更に続編を…という感じになっているだけに、一層の事『興行上の爆死』は痛々しく見えてしまいます。嗚呼!御気の毒(合掌)。

 金返せ~とならなかったのは、まぁ観てて『懐かしいなぁ』という、長閑な感傷に似たような気分が味わえたからでしょうか…、なるほどちょっとデブってパッと見判らなかったけど『ギャラクティカ』以来久しぶりに見たオルモスのオッチャンとかね(若い人は知ってるかな?MIAMI VICE 復活の日 …)(笑)。ま、その彼の『出し方』にも云いたい事があるのですが詰まんないのでやめておきます。

 そもそもブレランは、原作著者:フィリップ・K・ディックの設定からして嫌いなSFなので、そういうのも低評価に寄与してる。『だったら観に行くなよ!』と云われてもいい所を態々観に行ってんだから~そりゃ金返せとは云えないわな(爆)。
嫌いといいながら改訂版、監督編集版とか全てのバージョンを観てはいるものの、円盤は1枚も持っていないというのがその証左。

 ブレランのダメな点は、まず最初に無条件で適当な対立構造をでっち上げておき、(紆余曲折あって)それを解消に向かわせるという構図が見え隠れな事。古すぎるし救いがねぇしボクはSFに使うのは大嫌いな設定。使い古されまくりで新鮮味に欠るし、後述するけども、その大前提が全く持って合理的でない点が致命傷。星野之宣先生なら絶対に取らない手法…。
 この辺り『機械と人間の対峙』って話のパイオニアになるHAL9000やT800と同じようだが、実は全然違う。ま、賢いヒトなら解っていると思うけど…。

 まぁ原作が書かれたのが60年代だし、本作が、同時期のアーサーCクラーク著の2001等と比較しても底が浅いので仕方がありません。ま、早川文庫だもんな…って2001年もそうだっけか?。
 本作の書かれた60年代は共産圏が自由主義圏と拮抗していた時代で『プロレタリアート独裁は正義!』でしたから、そういう対立抗争をメタファーとして抱え込んでいたのではないかという穿った解釈もあるでしょう。

 そのダメな大前提についてですが、話すと長くなるんで短くまとめると
  1. 態々炭鉱夫や売春婦とか付加価値の低い仕事を、バカ高いコストかけて作ったアンドロイドなんかにさせるほどヒトは頭オカシクもバカでもない!
  2. 生態系破壊された結果、動物アンドロイド作って癒しを得たいと思ってる程、ヒトが情緒豊かな生き物ならそうなる前に手を打つ。
  3. AIの完成とサイバネティックスとの融合なんてそう易々と実現しない。その前に解決するべき哲学的、経済的、精神的、宗教的 e.t.c な問題が山ほどある。それを上手に乗り越えて迎えた『アンドロイド時代』なら、絶対にヒトと共存共栄している筈だってのが必然。
 ってこと、こういうの『重箱のスミツツキ』って云わない。ブレラン物語の大前提が成立しないって事なんだから…。

 この辺の説明省いちゃうと『ただアンドロイドと人間のドンパチやりたかっただけでしょ?』って感じで安っぽくなっちまうから、機械と生命の垣根…みたいな高尚っぽい味付けを追加したに過ぎないが、そこも中途半端に終わったのが前作まででした…。

 つか、こういう話ならスタトレTNGの"The Measure of a Man" 邦題:"人間の条件"(宇宙暦42523.7)なんかの方が秀逸。たったの45分で纏めてる分ブレランなんか足元に及ばない。やっぱスタートレックはSFのバイブルだねぇ…。

BR2049c ストーリーに見るべきものが無い中、ヴィジュアルがどうか?となるけども、近未来モノで街の汚れ具合やカオスっぷりの表現に『アジアン・ティストを用いる技法』も、もう時代遅れよね…見飽きた。これも『古い!』ですな。前作を踏襲しなきゃならん以上止むを得なかったのかもしれません。

 つか、サイゴンも東京も上海もバンコックも『今や浄化に向かってる』のに今更ありゃアジアに失礼だよな…。この辺り我々アジア人はもっと怒ってイイよ…。
 攻殻(スカヨハ版含む)でも似たようなのがあったけど…あれも原作に無駄なイメージを植付けた悪い例だと思う。ああいうのは前回のブレランの時代(1982年夏)だったから受けたんだよねぇ。

BR2049b 主役のライアン・ゴズリングも嫌いな俳優じゃないけどさ…キャスティングも地味でなんか冴えない映画だったな…。前作と同じでコレも円盤買わないだろうな…。

 ブレランついでにAIやサイバネティックスの話を書こうと思ったが、それこそ文庫本一冊分になりそうなのでやめました。また機会あったら触れますが、要するにコンピュータサイエンスに詳しくない『アホな文科系』が(注:『文科系のアホ』ではない)やたらと『AIが貴方の仕事を奪い去る!』てな事を吹聴しまくってるんで、IT業界の末端に座すものとして一言云いたかった…。『アホ抜かせ』ってなもんであります。

   ◇

 さて、本題。今日は触りだけなので、例のごとく『長いアバン』で更新稼ぎ。
ハセのプラウラーだ何だと云っていましたが、結局年内完成のキラーマークを増やす目論見ならってことで、このタミヤ1/100バッカニアの製作をすることにしました。
Buccaneer100a この卑怯な手段にブーイングの嵐でしょうが、一切構わずカエルの面に小便です(爆)。
このキットは駄作が多いタミヤ1/100ミニジェットシリーズの一つですが、その中でも最優秀キットといっていいもので、更に云えば、スケール差の出る詳細を無視する条件で今のところ出てるキットでは最も『バッカニアしてる』と云っちゃって良いものです。

 ボクはモデラーデビューが遅く、高校で知り合った『モデルアート同好会』会長のS君(ブログ内で度々触れるS君と全く同じ苗字だが別人です)の勧めでプラモと真摯に付き合う事になったのですが、その修行時代は1/144や1/100のミニスケールで基礎的経験を積めとばかりに指導されました。摺り合せ、パテ埋め、ヤスリがけ、筆使い、マスキング、エアブラシ(但し吸い上げ式シングルアクション)塗装、デカール貼りなどの基本技法はこの時に死ぬほど(ってこたぁないけど)やって鍛えられたといっていいのです。
 なるほど一機完成までのスパンは短く、その割りに、上位スケールキットと
要す手間は全く同じなので数をこなすには打ってつけでした。良いアドバイスだったなと、この頃のS君や草刈健ちゃんには感謝ですね。

 余談になりますが、この頃は変にディテールアップなどを試みようとするとS君に『バカたれが、正面のゴロが取れるようになる前に左右のゴロの捕球練習して何になる?』めいたことを云われて、成程と思ったもんです。基本技術がなってないクセに承認欲求の強いモデラーが良くやるエッチング導入とかディテールアップするのと同じですね…。そういうのはプラモに失礼です。『お前はそんな事する前にやることがあんだろうがよ!』って話です。

Buccaneer100b もとい、その当時作りまくった中にこのバッカニアもありました。だからそれ以来約40年振りくらいになるという凄い話です。
 当時、当然スジボリなんかはやってませんでしたが、とりあえずタミヤの完成見本には届いたと…そんな風に『免許皆伝』された良い思い出になっています。
 以降このシリーズはSH-3を最後に作る事がなかったので久しぶりに『今の腕前』でチャレンジさせていただこうかと思います。あんまり成長していませんけどね(苦笑)。

 そういや、あの頃いっぱい作った当時定価100円(最初は\50-だったってね)のRevellの1/144レシプロ機シリーズ…今手に入らないんだよなぁ(遠い目)

 タイトル詐欺みたいな内容で相すまぬ…です。ではまた…

おひさしぶりねの雑感です

 いやいや、御無沙汰しております。気付いてみれば80日以上の無更新(たぶん活動史上最長-w-)で実にダラシナイ状況ですが、皆様御元気でしょうか?私も元気です。

 滞ってた理由は、フェラーリとタイガースが珍しく開幕から好調だからとか、エドとアーロンがそれぞれWheeler Dealers、Fast N' Loudを降りるから意気消沈してるとか、身内に不幸があったから…とか、などでは全然なくて、次回更新は『FG.1完成まで』って決めていただけに、『今更途中経過で更新もなぁ~』とサボっていただけです。
だったら早く完成させろ!ってなもんですが、何せ、『前世はペルシャ猫だっただろう?』と言われるくらい『生来の気まぐれ野郎』なもんで、たまにやってもプラモはFG.1、PB4Y-2以外だったりですから仕方ありません(苦笑)。本来割と多趣味傾向ですから、『インドア趣味はプラモだけ!』と豪語する中川師匠の様には言いがたく、最近特にハマってるのが動画編集…で、この春購入した~
PD15←のおかげで更に輪をかけてプラモが捗りません(汗)。
 このPowerDirector15(最新は17になってる)はシリーズ初期から欲しい欲しいと思ってたのですが中々予算がつかず、ようやっと入手の運びとなりました。つか、手持ちの2台ある東芝製HDDデッキ(REGZA/VARDIA)の円盤焼きドライブ(特にDVDの方)がそろそろ昇天時期を迎えつつあるという事情が背景ではありますが…。

 他と使い比べた訳ではないから『これがベストのオーサリング・ツール』と言えるような資格は私にはありませんので控えますが、個人的には充分なAVツール・ソフトであり、怪しげなフリーソフトへの依存度を軽減することが出来ました。
 なにせ手軽にBDMVフォーマットのBDを作れるのがありがたく、手持ちの動画集めて、香港やバンコックで売られてそうな怪しげなブルーレイぽく焼いて家人や友人に見せて笑いを取って楽しんでいます(無料配布や販売は犯罪なのでしていません!)。

 普通にコピ10とかコピ1を集めてBD-Rをデッキで焼くと、メニューなしのBDAVフォーマットにしか出来ないから味気なかったんで、もっぱら焼かずに観たら消しの繰り返しだったでしたけど、これだと取っておきたいタイトルは、いかにも中国人が作った『ニセモノ』ぽくアレンジして円盤にとって置けるので楽しいんですよ! だからと言って大量コピーして、それこそ香港で売るというような事には使えませんので念のため…。第一そんなこと、BD(25GB)を焼く時間を考えると(加えて御存知でしょうがオーサリング含めてのBDAVとの速度差はかなりあります)、幸いにしてボクの時間単価で換算したら大赤字、然るにビジネスが成立しませのでやる気にもなりませんが、ここ読んだバカが誤解して通報…とかは避けたいですからね(苦笑)。つか、コピーで稼ぐとかいう感性が、そもそも貧乏臭くて恥ずかしいのです。人間普通に才能があれば真面目に働いて稼ぐ方が効率が良い筈だから(笑)。

 何つってもDVDの場合、高画質だと含めるタイトルが精々1~2本。BDだと10本は軽くいけるので、取り貯めたREGZAやVARDIAから家内LAN経由でPCにブッコ抜いた未観賞タイトルの整理やバックアップに重宝しています。元々PCへのデータ移送が簡単に出来る『ネットdeナビ&ダビング』(基本的にはFTPプロトコルですんでその辺の知識に明るくて、Winsock使ったプログラミングができれば誰にでも簡単に実装できます--ま、一応痩せても枯れても私はプロですんで、その辺はね…--)なる機能があるが故に悪名高き東芝機を使ってた経緯もあり、デッキで出来る事以上の編集環境がPC側に入ったのは本当大きいです。

 CMカットとかもデッキ側でオート/マニュアルどちらでやっても30フレーム・バウンダリのフォーマット制約があるが故に、どうしても半端に数フレームがファイル上に残ってしまい、そのままメディアに焼いた際、再生時にチラ見えする~といった詮無いことが起きますが、このツールのフレームカット編集使えば事前の無劣化編集で落とせるとか…、その辺が割と気持ち良いです。
 何よりもナーバスに扱わざるを得ないデッキのBD/DVDドライブの故障の心配が要らなくなりました。もうデッキ側ドライブで円盤焼かずに済むようになりましたから、HDDが無事な限り、多分死ぬまでデッキの新調はせずに済みそうです(マジかよ!)。
あ~、こんな良いモノだったなら、もっと早く買っておけばよかったなぁー。

  ◇

映画『ハクソーリッジ』観賞

今年の戦争映画はメインが日本では9月公開となる『ダンケルク』なんですが、こっちも観に行きました。しかも観賞日が6/24と沖縄戦の正式な終結日とされる23日の翌日(笑)。

HKR1 映画の出来に関しては良好だとは思いますが、また例によってメル・ギブソンが監督をしてるだけあって演出がオーバーです(笑)。その辺差し引きして観る必要があります。
 主人公 デズモンド・ドス氏(77th Sustainment Brigade 所属)の功績を称える映画であるのと、『戦争ってマジやべぇ』って状況にあって『人とは違う高次の信念を貫くことの偉大さ』が主旨の映画なので純粋(?)な戦争映画ではありません。戦場描写にある種のバイアスが掛かってはいますが、そこを無視すれば総じて素敵なお話に仕上がっています。

 で、戦闘シーンの何が問題(オーバー)か?ってぇーと…

 舞台はハクソーリッジなる前田壁障での戦いなんですが、ドス氏の功績にケチをつける気も、揶揄する気も毛頭ありませんが、5月初旬とありますから、その時期にあの三十二軍(牛島満中将-陸士20期-麾下)の歩兵の装備が綺麗過ぎるのと、その人数が凄すぎます(爆)。まるで『Starship Troopers』のウォリァーズバグのごとき湧きっぷりで不謹慎ながら爆笑してしまいました。あの人勢だと、それ以前の時点で第96師団が史実より更に苦戦を強いられて下手すれば撤退していただろうとさえ思えます(笑)。

 いや、如何に旧帝陸軍嫌いな私でも、史実に私情は持ちこむことはないから正直な感想を言えば沖縄戦は民間含めて(その是非は抜いて)善戦したと言う評価は私も同じです。

 もし、潤沢な航空支援が得られて、潤沢な補給と増援が滞らなければ数年粘れて講和に持ち込めたに違いない!

 などと思わせる戦いぶりだったのは認めます。
ですが、それらが全く無かったから負けるのは必至、『精神力』云々寝言を云わず

『本職が自刃を持って陛下に無条件降伏を進言いたしまするぅぅぅぅ!』

サイパン陥落時に国会議事堂正面でクソバカ東条がハラキリやってれば無駄な血を流さずに済んだ(やってりゃ今頃国家を救った英雄になれたよホント馬鹿の極みだわ)んでしょうから、罪は大きいぞ!この国賊陸軍め!
だいたい『絶対国防圏』ってたんだから、そこを失ったら戦争やめろや!アホンダラ!
『内閣は総辞職しますが戦争は続けます!』って単なるキ●ガイじゃん(苦笑)。

もちろん私は『理科系の皮を被った体育会系』だから『精神力』のある種の重要性は認めます。全否定してるわけではありません。しかし、それは力量が均等である場合や、あくまでもインテリジェンスとかコンセントレーション、或いは入念な準備としてのエクササイズを舞台とする局面に重要なのであって、無思考、無準備、無鍛錬、怠慢及び必要なハードウェアの劣勢を補えるものではありません。そこは誤解が無いように願います。

 例えばインテリジェンスにおいて劣勢(つまり情報の欠落や状況分析の怠慢)がある相手であれば、多少の戦力差なら精神力が高い方が勝つ確率は高くなります。ミッドウェイ海戦が典型ですね。
そこへ戦力差を補って余りある論理に裏打ちされたアイデアが介在するのも然りで、カンネーのハンニバルがそうです。

 無鍛錬においては、語るのもバカ臭いマリアナ沖海戦が上げられましょう(爆)。訓練不足歴然で精神力だけで勝てるとすれば、あの戦力比なら『VT信管何するものぞ!』と小澤艦隊は圧勝したはずです(涙)。インパール作戦に及んでは語るも馬鹿馬鹿しい『ガキの妄想レベル』に過ぎず、陸大出のいい歳したオッサン(牟田口)が『ジンギスカン作戦じゃ~』でドヤ顔ですから溜息しか出ません。

 事ほど左様に太平洋戦争においては日本という国家は主たる欠陥を補完するようなインサイドワークが全く機能していませんでした、何せ国民に対しては『足らぬ足らぬは工夫が足らぬ』といいながら、軍や戦争指導者側は何らの工夫もしていないんですから… 心技体 全てにおいてハイレベルのアメリカ合衆国に対し勝ち戦など求めようがありません。

 もとい!(笑)

そう、沖縄の日本軍は確かに健闘したんです。
だがこの映画の戦闘場面は時期的に辻褄の合わない描写が多すぎるというのが見解なのです。考えても見てほしいのですが、正規部隊の96師団を引き上げて、言ったら悪いが実体は臨時呼集兵ばかりの云わば『二軍』の77に代わったという時点で牛島三十二軍は事実上力尽き『大勢は決していた』ということなのであります。

 口の悪そうなマリンコの精鋭(特に第1海兵師団)やBOBでお馴染みスクリーミング・イーグルスの例えばガルニア軍曹辺りに言わせりゃー

ラズ:『おい、ビル?聞いたかよ、スタテュー・オブ・リバティーのボンクラども、まぁたぞろJAPに追い返されたってよ、何しに行ったんだあいつら?』

ガルニア:『あ~、イノシシ捕まえるのにバズーカ使う連中だからな、おおかた駆逐艦でも担いで登ってたんだろうぜ…』

といった感じで結構揶揄されてると言うのが実情です(こういう本音は推して知るべしで決して公式には出てこない-笑-)。
遺憾ながら映画の描写は、ドス伍長の活躍に必要以上の箔を持たせるためのメル・ギブソン監督の演出としてバイアスが掛かってると理解した方が健全です。
 然るに所々矛盾があって突っ込みどころは満載です、例えばドス伍長が必死に救護活動中、敗残兵狩りに牛島三十二軍の歩兵がワラワラと出歩きますが、その状況をドス氏の上官であるハウエル軍曹は歩けない状態でどう乗り切ったのでしょうか? 同様な状況にありながらある歩兵はドス伍長の偽装工作が無ければ殺されていたという描写があり、思わずテツandトモのダンスを歌って踊りたくなります(古~っ!)。

 そもそも洞窟を転々と逃げ隠れし、先居の一般市民に『出て行け』とさえ云っていた非道な当時の三十二軍の兵達(彼らも精鋭とは云いがたく多少の同情は禁じえませんが、それでもその態度は皇軍として恥じ入るべきです)が、そんな勇ましかったんかね?

 と言った感じで、総じて「そんなに簡単に単独救護活動可能な状況ではない」と我々に誤解させる意図を持った脚色がなされています。この辺り、東宝映画の傑作『激動の昭和史沖縄決戦』と見比べると良くわかります。出てったら砲撃でやられるかも知れないっといった状況で、態々敗残兵狩りに二個小隊派遣できるほど余裕のある牛島三十二軍ではありませんでしたし、よりによって洞窟内を冗談言って笑いながら歩く兵が居た等とは想像もつかない深刻な事態を迎えつつある時期だった筈ですから…。飲み水も糧食も無い状態で貴方は冗談言ってニコニコ笑えます?

HKR2 念を押しますが、このことは何も批判目的や創作への憤りから申してるわけではなく、過度な脚色は差し引かないと戦場に対する誤解を生じやすいと言う功罪を問うているだけです。決してドス氏の功績について評価を下げる目的で申しているわけでは微塵もございません。
 氏の行為は充分にブロンズスター授与に値する行為であり、私は賞賛は惜しみません。なぜなら 同じ状況で自分には出来たか?と問われて多分出来ないと断言できますから。
しかしながら、『でも決してシルバースターではなかったんだ』という事実からも眼をそらせてはいけないのであります。そういう感性は極めて重要だと私は信じます。

 当然ながら過度な戦闘描写は、ドス氏の頑なな信念と『ボクは命を奪うのではなく救いたいのです』という発言を70余名救出という実績をもって裏付けしたという事実に対して些細な装飾をしたに過ぎず、本作で訴えたい事の真価や本質には殆ど影響がないと云って差し支えありません。

 とは云えモノには限度があります。もう少しやり様があったと思いますが、そうすると単なるドキュメンタリーになりエンタテーメント性が損なわれる…という主張にも一方で同意せざるを得ません。
 そこは理解できるのですが、ドス氏自身は長年に渡り映画化権、ドラマ化権の受諾を頑として断り続けてきたという謙虚な対応をしており、その裏側に『あの戦争で英雄は俺の他にも沢山居るよ、だから、どうって事無い俺の事はそっとしておいてくれ』といった思いがあると想像すれば、そういう氏の本心がこの映画の捉え方次第では損なわれてしまうと言うことを私は危惧しているわけです。御想像通り氏はそういうある種の下等な精神性とは無縁の人物であると感じるからです。

 残念(?)ながら氏の鬼籍入りを持って映画化されるに至り、この事を氏が心から歓迎してるのか聊か疑問でもあります。もし、あの世でお会いできたら聞いてみたいとさえ思います。
 私はこういった必要以上に『戦争の英雄』を称えることにある種のアレルギーを持つものでありますが、皆さんはどうでしょうか?
 そういう意味で『父親たちの星条旗』ではクリント・イーストウッド監督がメル・ギブソン氏とは真逆の立ち位置で『戦争と英雄』を語っており、そちらの方が私のベクトルと同期するのです。

BOBのラストで、ウインターズ氏が戦友の言葉として残している台詞が胸に焼きついています。

『おじいちゃんは英雄だったの?』と孫に問われて彼はこう答えたのです。
『いいや、あの時あの場所に居た皆が英雄だったんだよ…』と…

この言葉の含みの重さを感じえた人が多ければ多いほど、戦争の起こる可能性が低くなると私は考えますが、皆さんはどうでしょうか?

それにつけてもあの無駄な地上戦を高みの見物で決め込んだ、当時の中央(特に陸軍大臣以下の陸軍省のクソ共)には返す返すも憤りを禁じえません。牛島中将のみならず硫黄島の栗林さんとか、戦後も復興に貢献できてたであろう僅少な陸軍の逸材を死なせてしまった罪は未だに誰も贖罪していません。

WWIIで無くなった多くの人の魂(ナチに加担したクラウツを除く)に対し、今更ではありますが改めて御冥福を祈りたいと思います(合掌)。

   ◇

 なんか師匠にまで心配をおかけしてたようで、そうではないよという為の私信のつもりでしたが長くなっちゃいましたゴメンナサイ。
駄文長文にお付き合い頂いた方には感謝です。
ではまた、気が向いたらまた書きにまいります(爆)。
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こんにちは!
都内在住、楠木慎一と申します。
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  • 今はサラリーマン(BIPROGY:旧 日本ユニシス 雇用延長勤務)で最後の御奉公中です。
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