ホビーボスのトムキャットは追い込みなのでもう暫くお待ちください。
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さて、海軍ったってUSNやFAAばかりじゃない、当然旧大日本帝国海軍もそのテリトリーの範疇な訳で本ブログでは扱います。といっても、僕自身の好みが8割方USN指向とくに終戦から以降なので、そのシェアは微々たるものなのだが…。
今回、トムキャットの作業のどさくさにまぎれてValが完成したので晒すことにした。ちょっと更新も滞り気味ですし…。
作題:ミッドウェー海戦時飛龍搭載 小林道雄大尉機(推定)
僕の好きなWWII日本機は極めて限定されていて、Best3が紫電(改含む)、九九艦爆、九七艦攻…。で、実績は過去に1/72で紫電改を完成させたに過ぎなかったのだが、今回めでたく本機を小林大尉機として完成させることができた。『何これ?青線一本だから蒼龍の機体じゃないの?』てな突っ込みが頭に過ぎった方、浅学が過ぎるとは言わないけどイマイチですぞ(笑)。
確かにハワイ海戦当時ニ航戦の旗艦は蒼龍だったので、"BI-"レターと青線一本は蒼龍搭載機のマーキングだったのだが、MI作戦前の昭和17年5月8日付けでニ航戦の旗艦は飛龍に異動となっており、レター、マーキング共に変更されているのだ…。何せニ航戦のCOである所の山口多聞提督が本艦に座乗し作戦中に殉死されているのだから事実旗艦だったことは証明されておる…。 残念ながら、作戦中の写真など一切残っておらず『推定』とせざるを得ないのが不本意ではあるが、小林大尉の英霊には充分に想いが伝わるだろうということで納得している。しかしながら学研の『歴史群像』その他の書籍でもその辺りの考証がお座成りにされていて一寸気にはなるな…。上田さんのイラストなんかもミッドウェー海戦時の飛龍機が『BII-』レターで描かれちゃってて、きっとこのまま誰も気にせずに飛龍機はずっと『BIIで青線2本』というのが常識になってしまうのでしょう…。歴史とはこういう風に些細なことを呑みこんでいくんですね(涙)。因みに帝国海軍はアメリカ式の『空母航空団』という編成を採っていず、航空戦力は全て空母帰属という組織編成です。
そもそも何でこの機体が好きになったのかといえば、遠く中学生時代に見た映画『MIDWAY』で初めてこの海戦の背景や概要を知り、それをきっかけに、空母飛龍やその最後の活躍、山口少将への私の想いが確立されることになった訳で、まぁミーハーっちゃミーハーなエントランスだわな(笑)。その作中で見た小林、友永両大尉は僕の中のヒーローとなりました(笑)。
当時はレンタルビデオ屋など存在せず、戦争映画は専ら地上波で流される時か新作がロードショーにかかるかしないと観られなかった。当然『トラ・トラ・トラ』も観たのはずっと後の話…。実はMIDWAYの映像にそのカットの使い回しがあったなども後で知ったくらいの『情弱環境』だった訳で…。『丸』などという雑誌の存在だって知らない…、そんな中にあってこの九九艦爆のモデルが欲しい、是非ヨークタウンに一撃を与えた小林艦爆隊を再現したいなどという想いは夢に等しかった訳である。
月日は流れ、フジミから1/72は出るワ、ハセガワが1/48で出すわでようやく実現したのがこの作例というわけだ。長い前置きになっちゃいましたね…。
私は実機を見たことがないのでキットが似てるとか似てないとかは言えません。ただ、後方斜めから撮られた写真などで日の丸の歪み具合などを見ると胴体中央部から後部にかけての断面形は側部が立ち上がりすぎの様な気がしました。もうちょっと真円に近付けた方が良かったかも。
でもまぁ、間違いなく九九艦爆に見えるので不満はありません。充分カッコいいです。
マーキングは飛龍搭載のミッドウェー海戦時をイメージしました。小林大尉機の機番はBI-212としていますがこれは個人リサーチの結果で推定の域は出ません。胴体の帯は二航戦旗艦を意味する青の1本で、デカールは蒼龍機向けに用意されていたものがありましたが使わずに塗装しました。
全面灰緑色のグロス仕上げとしたのも推定です。昔のニチモ飛龍のキットでMI作戦時の九九艦爆は暗緑色迷彩を指定していましたが、レターがBIIだったので信用できませんでした(多分に蒼龍機と混同しているんではないかという推論も成り立ちます)。だもんで、時期的に制式塗装だったということで決めています。
問題の灰緑色は所謂「飴色論争」で話題となった色です。クレオスのNo.56(中島系)は暗すぎでフィールドグレーみたいなのでFS16495で薄め、愛知の緑がかったグレーっぽく調合しています。帝国海軍は出撃前はピカピカに磨きまくったので、作例もそのイメージで汚しは控えめです。
赤城、加賀、蒼龍が被弾後、反撃に出た小林艦爆隊は九九艦爆18機、内6機が九八式25番陸用爆弾を吊架していたそうですが、残念ながら小林機がどちらだったかは不明で、キットの九九式25番通常爆弾(対艦用)をそのまま使っています。この辺は資料がなくアメリカ軍機の様に行かないのが旧軍機ファンの辛いところですね…。加えて言えば航空艦隊が崩壊しつつあった混乱にあって、小林大尉が実際に割当機で出かけたかどうかさえ不明なのです…。おそらく飛べる状態で最も良い機材に乗って出たというのが正しいところでしょうし…。
おりしも来る6月5日はMI作戦実施69周年となります。来年が70周年。それまでに小林道雄大尉機の九九艦爆、友永丈市大尉機の九七艦攻を揃えるという夢は半分が叶ったことになります…。